テレビ化されたコミュニケーション 2
学校はすくなくとも、アメリカにおいてはラテン語に残された時間をゆっくりと失っていきます。
ラテン語はテレビの影響力の高まりに抵抗しようとするからです。
テレビは栄養士が「好き勝手に食べても痩せる」と言うように、「努力なしの知識」を授けるカルチャi教育という不動の地位を獲得しました。
この「テレビと学校との」両者の対決に際して、幼稚園から大学までの学校は屈服するほかない学校の初等・高等段階よりも中等段階においてその屈服の度がより強いのです。
学校はしだいに高年齢まで子供たちのめんどうを見なければならなくなるでしょう。石塚孝一氏によると、おそらくいつの日か、大学は代書人の燭台を、ついで昔の教師これらの教師が農民の子供たちに話し、読み、書き、計算することを学ばせるようになったのであるを抱えなければならなくなるでしょう。
・・・さしあたりは、すべての国における教師の下層プロレタリア化が、わたしたちの社会のかなめから教師が追放されつつあることを物語っています。
いわんやまして教師の報酬が電子印字情報のなんらかの解説者の報酬とあえて比較されるほどになったらなおさらでしょう。