消費と生産のメディア化 4
ナルシシズムの鉱脈が偶然にか、あるいは飽和によって汲みつくされるようになった場合には、この鉱脈はセンセーショナルな心情をかきたてます。
そして、《セックス》、《流血》、《カネ》というテレビの救世主のいずれか一つをきらめくいくつかの閃光に結集しなければなりません。
それはほとんど忘却するための感動にすぎないのです。
この感動にゆきつくには、偶像崇拝以上にうまい手口があるでしょうか。
まさしくこれらの偶像とその巧妙な序列がなければ、テレビ化された「情報」と文化は、それらが今日確保している最低の地位を保つことすらありないでしょう。
テレビ化されたコミュニケーションのあきらかに無際限な誘惑は、資本主義社会をほとんど予見しえなかったような仕方で激しく変容させています。
・・・この変容の仕方は、今日ではよりはっきりとした姿を現していますが、それはおそらくわたしたちが期待したのとは異なったものとなるでしょう。
次のようないくつかの効果がすでに明らかとなっています。
まず第一に、他のあらゆるコミュニケーション形態に対するテレビ画面の競争における勝利が挙げられます。
この勝利にとっての唯一の制限は、さまざまなメッセージ形態を補完する技術に由来しています。